他人からの高評価が自分を追い詰める
多くの人は、他人から評価されることに喜びを感じ、
「次も頑張ろう」「また褒められるように努力しよう」
と思うものです。
他人から評価されることは、頑張るためのエネルギーになります。
しかし。
それと同時に、自分を追い詰めるものでもあるのです。
「褒められることが嬉しい」につきまとう恐怖
仕事で結果を出したときや、学校のテストでいい点数をとったとき。
みなさんの周りの人はどんな反応を示しますか?
「よくやった!すごいぞ!」
「えらい!頑張ったわね!」
などという言葉をかけてくれるのではないでしょうか。
いわゆる「褒められる」というやつですね。
人は、褒められると嬉しいのです。モチベーションを高く保ち
さらに精進しようとするものです。
褒められることは、努力を継続したり、向上心を
持って物事に取り組むためのエネルギーになります。
これは、みなさんも体験しているからわかると思います。
ただ、ここにひとつ問題があります。わかりますか?
「褒められる」には必ず終わりが来る
褒められたことが嬉しい → 努力する
上達する → 褒められる → さらに努力する
上達する → また褒められる → もっともっと努力する
しばらくこれが続きます。
ですが、努力が結果に結びつくにも限度があるのです。
だんだん上達の幅が少なくなり、しまいには上達できない時がやってきます。
結果が出ない → 褒められない
・・・あんなに頑張ったのに褒められない
ここが天井になります。
「褒められる」ことのガソリンがエンジンを焼き切る
また、天井に達する前に体に限界が来てしまうと、妻のような状態に陥ります。
車に例えれば、
褒められる=ガソリンを入れてもらっている
そんな状態です。ガソリンがなくならないので、前に進むことができます。
でも、ガソリンさえそそぎ続ければ車が順調に走れるのか。
そうではありません。
たまにはエンジンを休ませて全体のメンテナンスを行う必要があるのです。
そうでなければ、動き続けたエンジンが焼き切れ、車は止まってしまいます。
妻を動かし続けた複数のガソリン
教員である妻を動かし続けたガソリンもまた、他人から褒められること、他人からの高評価でした。
教師の仕事は教科書に沿って授業を進めることですが、同じページを教えるにしても、その授業内容は先生によって千差万別です。
妻は、生徒が少しでも授業に興味を持ってくれるように努力しました。黒板に貼るカードを自作したり、グループで行うゲーム実習を考えたり。
生徒からは「先生の授業は楽しい」「授業が好きになりました」と言ってもらえたと喜んでいました。
これが「授業をもっと良いものにしたい」のガソリン。
また、教師の仕事は授業だけではありません。部活指導、掲示物づくり、会議、研修など多岐にわたります。基本的には割り振りが決められて担当するのですが、ひとつの業務を複数の先生で持つ場合があります。
わかりやすいのは、野球部の顧問に先生が2人つく、などですね。
このとき、妻が頑張って働くと、もう一人の先生から感謝されるという現象が起こります。当然ですよね。2人で持っている仕事を頑張ってもらったわけですから。
で、これが「授業以外の仕事も頑張ろう」のガソリン。
生徒やほかの先生からの評価の声があると、教頭や校長にもその気配は届くようで。
「先生、最近頑張ってるようですね。」
「期待していますよ」
こう言われて妻はますますやる気になった。少しくらい残業が増えたり、自分の睡眠時間が削れたりしてもいいから頑張ろうと思うようになった。
これが、「上司から褒められたい」のガソリン。
エンジン停止
他にもあるかもしれませんが、少なくともこの3つのガソリンがほぼ同時に、妻に注がれ続けました。
妻のエンジンは高回転で回り続けます。
そして、数か月にわたって回り続けた妻のエンジンは毎晩、就寝前に煙を吹くようになりました。
この煙が、炎に変わったあの夜。
父ちゃんは妻に病院へ行くように告げたのでした。