毒親育ちの妻が身ごもりまして

毒親育ちの妻が身ごもりまして

毒親育ちの妻と父ちゃん、赤氏がしあわせを追い求めるブログ ~毒親育ちも幸せになっていい~

不仲の家系もあることを知る

父ちゃんが生まれたのは、青森県にある海沿いのまち。

まちといっても、まあいわゆる田舎町です。

 

 

親戚は仲が良いものと思っていた

 

両親は共働きでしかもどちらも三交代勤務。

小学校から帰ったときだけでなく、夜に2人とも仕事なんてのはザラ。

 

そのため、週に1.2日は祖父母の家で生活していました。

 

無口な祖父と、今思えばかなり甘やかしすぎじゃないかってくらい優しい祖母でした。

 

正月には親せきが祖父母の家に集まって年越し なんてのも当たり前でしたね。

紅白見て、ゆく年くる年見て、そば食って みたいな。

 

 

そんな感じで親せき同士の仲は良くて、「嫁姑問題」みたいなのは目にしたことがなかった。(本当は見えないところであったのかもしれないけど、小さいころの父ちゃんにはわからなかった)

 

親戚の不仲に初めて触れる

 

そんなまま大学生になって妻と出会い、妻の親族関係が不仲であることを知ります。

父方はすでにどちらも亡くなっていて、母方については

「もう長いこと、じいちゃんの家には行っていない」

「だってお母さんが行きたくないっていうから」

 

妻の母は、実父から虐待を受けて育ちました。

実母は、実父のことが怖かったのか、妻の母が虐待されているのを

黙って見ているだけでした。

このあたりは、別記事でもう少しだけ詳しく書いています。

 

 

akashi-no-tochan.hatenablog.com

 

 

 

妻の実家に彼氏としてご挨拶にいったとき、

たまたま妻の母の電話が鳴ったことがあった。

 

「うわ、ばあちゃんからだ。無視しとこ」

 

娘の彼氏がいるのに不仲を隠すわけでもなく平然と言っていたので

あぁ、本当に妻の家系は親族の仲が悪いんだろうな。そう思いました。

 

愛のない親子関係を目の当たりに

 

電話をかけてきたばあちゃん(妻から見て母方の祖母)は今も健在ですが、

その夫(母方の祖父)は、数年前に亡くなりました。

 

父ちゃんも、姻族としての親せきにあたるので葬儀に参列したのですが、

妻の母は、全く悲しむ様子はありませんでした。

 

虐待を受けて育ったので仕方ないことなのかもしれません。

虐待の親子関係に愛はないのだなと感じたエピソードがあります。

 

葬儀屋さんから葬儀の手順を教わることってあるじゃないですか。

このタイミングでお焼香になりますとか、

ここで喪主様から動いて参列者に挨拶してくださいとか。

 

このタイミングでお花を棺に入れて、

ご遺体に最後のお別れの一言をかけてあげてください、

と言われた時の妻の母の言葉はこうでした。

 

「・・・あの人にかけてやる別れの言葉なんてなんにもない」

 

あぁ、生きている間だけじゃなく、亡くなってしまっても溝は埋まらないんだ

 

父ちゃんはそう感じました。

 

無条件の愛

 

親は子を、無条件に愛するものだと思っていました。

少なくとも父ちゃんは、親からそう言われて育ってきました。

 

 でも、妻の母はそうではなかった。

 

父ちゃんが恵まれて育ったのかもしれないし、

妻の母が極めて不幸だったのかもしれない。

 

妻の家系を見て、父ちゃんは

ーー親が子どもを愛してあげなきゃ、その子は一生不幸を引きずる

 

そう思ったのです。

 

子どもは親を選べないから、「親を愛しなさい」と強要はできない。

でも、親は自ら子どもを産んだのだから、無条件で愛するべきだと思う。

 

赤氏は2人の絆

 

父ちゃんと妻は、結婚6年目にして赤氏ができました。

 

結婚したばかりのころは、2人とも子どもを育てる自信はなくて、

「まだ作らなくていいよね」

なんて話していました。

 

でも、ここ数年で、子どもが欲しいと思うようになった。

 

正直、子どもを育てる自信がついたわけではないし、

子どもを育てるのに家計の余裕がたっぷりあるわけでもない。

 

ただ、純粋に ”僕らの、私たちの子どもがほしい”

 

そう思った。

 

赤氏、待ってるからね^^